思うようにいかないこと、生きていれば誰だって抱えています。
それは決して、あなただけじゃない。
同じような悩みや苦しみを抱えながら、どうにもならない今日に立ち向かいながら、
明るい未来を信じてもがいている人が、きっと近くにたくさんいます。
なぜなら、今こうして、さまざまな人の「ココロ」と向き合っている
わたし自身もそうだったから。決して、他人ごとではありません。
和歌山の高野山の麓で生まれ、すぐに移り住んだ奈良県では、
週末にのどかな「奈良公園」へお出かけする幸せな家庭ですくすく育ちました。
そんなごく当たり前の幸せも、父親の工場が火事でなくなってしまったことで一変。
和歌山へと引っ越しを余儀なくし、家族みんながゼロからの出発となり、
両親が朝から夜遅くまで働き詰める後ろ姿を見ながら育ってきました。
2人の弟はアトピーと小児喘息を持ち、咳き込む弟たちを母は必死で看病する毎日。
わたしが小学校に上がった頃には、弟たちもすっかり元気になりましたが、
バブル崩壊の波が押し寄せる中で、両親は相変わらず忙しく働いていました。
そして、中学生となった多感な時期に、友達から無視される辛い経験を味わいました。
自分自身、生きている意味すらわからなくなり、
人のココロの在り方に初めて興味を持つきっかけとなったことを鮮明に覚えています。
このままじゃ嫌だ。人生をリセットしたい。
まだ10代のわたしは、そう決意し、地元の進学校「橋本高校」へ進学しました。
環境が変わることで、友達にも恵まれ、心から楽しい学生生活を送ることができましたが、
相変わらず家庭の経済状況は厳しく、アルバイトをして学費やお小遣いを工面しました。
そんな日常も「楽しい」と思える時期を経て、自分の夢を叶えるために、
児童心理学を学べる短大へと進学。
アルバイトをして学費を工面しながら、大変ながらにも夢に向かって一直線に走りました。
それでも、すぐに夢を叶えることができず、保育士の道を一旦諦めた経験も色濃く残っています。
現実を受けとめながら、最初は印刷デザイン会社に就職。
終電で帰る毎日にうんざりしながら、運転免許取得と共に地元へ戻りました。
地域の憩いの場でもあったドラッグストアでコツコツ頑張り、店長代理にまで昇進。
そんな時、今の主人と出会い、結婚することもできました。
お互いの身の丈に合った新婚生活を始め、夢のマイホームを購入。
順風満帆な未来を描いていた矢先、主人が離職してしまいます。
すると、あっという間に極貧生活となり、健康保険や住宅ローンも払えなくなるほど。
500円玉貯金を開けて、1日500円で生活をする期間もありました。
そんな状況の中で、夫婦関係は冷えていき、
私自身が、彼に頼ることを諦める瞬間が訪れました。
「一人でも生きていけるだけの力を持とう」と、決意したんです。
その決意は、今振り返るとムダではなく、大きな転換点となりました。
それから間もなくして、夫婦揃って転職先が決まり、私はようやく保育士になりました。
借金の返済やリーマンショックも相まって、余裕のない生活は続きましたが、
そんな中でも、ようやく前を向くきっかけを得ることができたんです。
2010年。夫婦関係やお互いの未来のためにできることを考えていた時、
ココロの勉強を始めたいと思った私は、初めて「インナーチャイルド」に触れました。
自分自身の幼い頃と向き合うことができた途端、あっという間に、夫婦関係が良くなりました。
口を利くのも嫌だった主人との関係が、みるみるうちに好転していったんです。
夫婦関係が良好になると、ずっと苦しい思いをしていた経済性も好転しました。
本当に、手を取るように、どんどん好転していきました。
「人生は変えられることができる」と実感する瞬間が幾重にも訪れました。
そしてとうとう、天職と言える保育士から、ココロのお仕事に本腰を入れるため独立開業。
ヨガの世界にも携わり、内観作業をさらに深め、自分の真我意識と繋がることもできました。
それからの人生は、それだけに留まりません。
学びを深め、多くの人との出会いや関わりが深まるうちに、
2019年には、株式会社ウラライズを立ち上げるにまで至りました。
ただひたすらに、人生哲学である「ココロのあり方」だけを探求してここまできました。
そして、人生はまだまだ拡大し続けています。多くの人に支えられ、広がり続けています。
私自身、まだまだ成長途中です。ずっと研鑽を積みながらの毎日です。
私だってそう。まわりの誰かもそう。
まだまだ成長できます。年齢や環境を臆することなく、前向きに人生を歩んでいきましょう。
『ココロコーチング』は、明るい未来を描く皆さんのために体系化した臨床心理学であり、
私なりの答えであり、もっと知ってほしいアイデンティティです。